東京都の商店街・商店群(主に東京23区内)を散歩し、様子を写真つきで簡単にまとめているブログです。 ※管理人=志歌寿ケイト(しかすけいと)
現在、東京の商店街・商店群の紹介記事を約2000件掲載している他、散策モデルコース図などもあります。
※各記事の内容は主観的なものであり、またその日付の時点のものですのでご了承ください。なくなった商店会も含んでいます。
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2005年01月01日
東京23区・商店街歩行見聞録(仮) その012 掛け合わせ
その012 掛け合わせ (2005年10月25日歩行)
一昨日に歩いた地域に近いのだが、この日は杉並区の羽根木から和泉、そして中野区の南台あたりを歩こうと思う。
京王井の頭線の東松原で下車し、駅前の商店街を歩く。ここは見事なまでに二車線以上の広い道路がない。まっすぐな道さえ少ない。小規模マンションの下の店舗と古くからの二階建てとが混在し、いくつかのチェーン店を含めながら小さな賑わいを作り出している。古い店舗の中には、右から左へ商店名が書かれたものまであった。
羽根木地域に入り、人が住み着く前は農地の中の道路だったと思しき道筋を進む。一応商店街ということになってはいるが、営業店は少なく、人によっては「ただの住宅地」に見えるかもしれない。だが交番や郵便局、そして地蔵尊があるところから、地域の中心地であった名残を辛うじて感じることはできる。
北へ折れて代田橋駅前の二つの商店街を通過する。代田橋とは玉川上水に架かっていた、甲州街道の橋の名前である。この駅も東京二十三区内としては小さな駅だが、やはり小さな駅前商業地が形成されて、現在も利用されている。この駅前商業地の有無が、地方と東京の大きな違いのひとつではないかと思う。東京区内の地上駅で、こうした店舗の集まりが確認できないほうが珍しい。だが少し郊外へ行けば、鉄道と商業地が結びつかなくなってくる。もともと駅と市街地が離れていた場合もあるだろうし、駅を使う人が減ったということもあるだろう。少なくとも東京ではどの駅前でも「駅と街」の組み合わせで発達した時期があることを確認できる。
拡張された甲州街道を真新しい歩道橋で渡ると、和泉町域となる。ここには沖縄をテーマに活性化に取り組む商店街がある。と言っても建物を大々的に沖縄風に改装したとかではなく、各店舗のどこかに沖縄的な商品があるといった風だ。若干無理を感じる部分もあるが、まったく違う地域を取り込むこと自体は面白いし、やるならもっと徹底的にやってみてほしいと思う。
和泉には「和泉仲通り」という名がつけられた古くからの道があり、そこに三つの商店会が連なる。商店街の総延長は一キロにもなる。この通りは、南端にある古風な市場の建物、そして某建築家の手による奇抜な外観のマンションが二棟もあるという注目点は持っているのだが、商店街としては特に中心地もなく散漫で、これという感想は言いづらい。ただ、高い建物が少なくゆっくりとカーブを描く道を歩いていると、宅地になる以前ののんびりした農道的な雰囲気を感じないでもない。そしてこのあたりも、商店街とされている通り以外には広い主要道路がない。地方都市の旧道の風景のようでもあり、東京にいることを忘れてしまいそうになる。
神田川べりまで出てから、東の方南町のほうへと折れた。方南町は環七通りと方南通りの交わるところで、地下鉄丸ノ内線支線の終点でもある。他とは独立した、地域商業のひとつの極となっている。方南通り沿いにはアーケードつきの商店街があり、そこから入る街路にも個人商店を中心とした商業地が広がっている。マスコミで注目される街ではなく、大した施設もないから他所から人が多く来るわけでもないだろうが、それだけに生活感が味わえる。
方南町から南台へは旧道が続いている。少し西にある大宮八幡という大きな神社から、方南を通って幡ヶ谷方面へ続いた道のようだ。これをたどると、商店が断続的に続いている。その中で商店街として結実したのが、先日歩いた氷川仲通りと、これから歩く南台だ。
南台というのは町名としてはイメージ優先でつけられたもので、旧地名では前原と言ったあたりのようだ。商店街はやはり旧道のにおいが強く感じられ、もう廃業したような二階建ての看板建築の店舗が半分くらいを占め、そうでなければ三階建てのマンションで下が店舗というのが多い。かと思うと入口アーチや街灯デザインは近代的、路面の舗装もちょっと薄い色になっている。ちぐはぐな感じだが、それも東京らしくはあると思う。
景観の調和とか美化だとか、ほとんど言うだけ無駄な街だと僕は思っている。都区内で多くの人に美しいと認められる街並みを作れたら、それは大いに賞賛されるべきことだ。特にそれが多数の土地所有者がいる地区で成されたとしたら、神業としか言いようがない。
鉄道と古道、商店街と沖縄、新設備と旧建物、そういう掛け合わせが今の東京を成り立たせている。
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一昨日に歩いた地域に近いのだが、この日は杉並区の羽根木から和泉、そして中野区の南台あたりを歩こうと思う。
京王井の頭線の東松原で下車し、駅前の商店街を歩く。ここは見事なまでに二車線以上の広い道路がない。まっすぐな道さえ少ない。小規模マンションの下の店舗と古くからの二階建てとが混在し、いくつかのチェーン店を含めながら小さな賑わいを作り出している。古い店舗の中には、右から左へ商店名が書かれたものまであった。
羽根木地域に入り、人が住み着く前は農地の中の道路だったと思しき道筋を進む。一応商店街ということになってはいるが、営業店は少なく、人によっては「ただの住宅地」に見えるかもしれない。だが交番や郵便局、そして地蔵尊があるところから、地域の中心地であった名残を辛うじて感じることはできる。
北へ折れて代田橋駅前の二つの商店街を通過する。代田橋とは玉川上水に架かっていた、甲州街道の橋の名前である。この駅も東京二十三区内としては小さな駅だが、やはり小さな駅前商業地が形成されて、現在も利用されている。この駅前商業地の有無が、地方と東京の大きな違いのひとつではないかと思う。東京区内の地上駅で、こうした店舗の集まりが確認できないほうが珍しい。だが少し郊外へ行けば、鉄道と商業地が結びつかなくなってくる。もともと駅と市街地が離れていた場合もあるだろうし、駅を使う人が減ったということもあるだろう。少なくとも東京ではどの駅前でも「駅と街」の組み合わせで発達した時期があることを確認できる。
拡張された甲州街道を真新しい歩道橋で渡ると、和泉町域となる。ここには沖縄をテーマに活性化に取り組む商店街がある。と言っても建物を大々的に沖縄風に改装したとかではなく、各店舗のどこかに沖縄的な商品があるといった風だ。若干無理を感じる部分もあるが、まったく違う地域を取り込むこと自体は面白いし、やるならもっと徹底的にやってみてほしいと思う。
和泉には「和泉仲通り」という名がつけられた古くからの道があり、そこに三つの商店会が連なる。商店街の総延長は一キロにもなる。この通りは、南端にある古風な市場の建物、そして某建築家の手による奇抜な外観のマンションが二棟もあるという注目点は持っているのだが、商店街としては特に中心地もなく散漫で、これという感想は言いづらい。ただ、高い建物が少なくゆっくりとカーブを描く道を歩いていると、宅地になる以前ののんびりした農道的な雰囲気を感じないでもない。そしてこのあたりも、商店街とされている通り以外には広い主要道路がない。地方都市の旧道の風景のようでもあり、東京にいることを忘れてしまいそうになる。
神田川べりまで出てから、東の方南町のほうへと折れた。方南町は環七通りと方南通りの交わるところで、地下鉄丸ノ内線支線の終点でもある。他とは独立した、地域商業のひとつの極となっている。方南通り沿いにはアーケードつきの商店街があり、そこから入る街路にも個人商店を中心とした商業地が広がっている。マスコミで注目される街ではなく、大した施設もないから他所から人が多く来るわけでもないだろうが、それだけに生活感が味わえる。
方南町から南台へは旧道が続いている。少し西にある大宮八幡という大きな神社から、方南を通って幡ヶ谷方面へ続いた道のようだ。これをたどると、商店が断続的に続いている。その中で商店街として結実したのが、先日歩いた氷川仲通りと、これから歩く南台だ。
南台というのは町名としてはイメージ優先でつけられたもので、旧地名では前原と言ったあたりのようだ。商店街はやはり旧道のにおいが強く感じられ、もう廃業したような二階建ての看板建築の店舗が半分くらいを占め、そうでなければ三階建てのマンションで下が店舗というのが多い。かと思うと入口アーチや街灯デザインは近代的、路面の舗装もちょっと薄い色になっている。ちぐはぐな感じだが、それも東京らしくはあると思う。
景観の調和とか美化だとか、ほとんど言うだけ無駄な街だと僕は思っている。都区内で多くの人に美しいと認められる街並みを作れたら、それは大いに賞賛されるべきことだ。特にそれが多数の土地所有者がいる地区で成されたとしたら、神業としか言いようがない。
鉄道と古道、商店街と沖縄、新設備と旧建物、そういう掛け合わせが今の東京を成り立たせている。
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