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2005年01月01日

東京23区・商店街歩行見聞録(仮) その013 東京、長崎

その013 東京、長崎 (2005年10月26日歩行)


 今日は東長崎と椎名町を歩く。どちらも西武池袋線の駅で、各駅停車の列車しか停まらない。東長崎の「東」は昨日の東松原の「東」とは違い、長崎県の長崎駅との区別のために付けられたものだそうだ。間違える人はそうそういないと思うのだが。

 この歩行時点で八王子に住んでいた僕にとって、西武線はなかなか乗る機会のない路線だ。都心に向かうのには京王線か中央線があればいい、川越方面へは八高線、または東武東上線がある。所沢や飯能には特に用がない。ということで、この沿線の風景はまったくと言っていいほど知らない。

 交通費の節約のために、新宿からバスで現地に向かった。空はかなり暗く、いつ雨が落ちてくるかという気配だが、とりあえず早足で歩行を開始した。

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 昨日に続いて東長崎もまた、駅の北も南も路地と家で埋め尽くされたような街だ。バスが走る目白通りから駅までは四〇〇メートルほどあるが、二車線以上の道路がまったく見当たらない。そして、ここという商業的な中心地がなく、ほうぼうに店が続いていく。生鮮食品・惣菜・焼き鳥などの店は多いが、それ以外の雑貨の店は減っているようだ。スーパーも二軒ある。

 僕はこの地域には、なぜだか城下町を感じてしまう。そんなに綺麗な区画ではないのだが、それぞれの街路になんとなく商店が広がり、建物はせいぜい三階建てだがみっちりと埋まり、その中に古い商店を多く見かけるせいだろうか。路地ごとに「鉄砲町」とか「鍛冶町」とかいう系統の名前をつけたくなる。

 東長崎から徒歩で椎名町に移動した。やはり小雨が降りはじめた。

 椎名町は東長崎から東に一駅、その次が池袋となる。つまり都心ターミナルから数えて一駅目という位置にある。その割に、ここもまた低層住宅が多い路地中心の街だ。

 もともと椎名町というのは駅から五〇〇メートルほど南の、今の目白通り沿いのことを指した地名だ。それがいったんは町名として広い地域で用いられ、しかし昭和中期以降は町名そのものが消え、駅名だけが離れた場所に残ったのだそうだ。今の町名は長崎または南長崎だが、駅前地域の通称としては椎名町が使われている。

 この椎名町の商店街は駅の北側のみにあり、決して華やかではない。しかし、短い全蓋型アーケード街、やや広く自転車の行き交う商店街、脇通りの商店街と、それぞれに個性と役割分担のようなものがある。そして北側の要町方向に向けては古い道筋に複数の商店会が続いていき、地図で見た限りでは池袋までたどることができるようだ。全体の雰囲気は東長崎と似ていて、スーパーもあれば惣菜屋もある。食という点ではまだ利用価値のある商店街だ。

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 駅のすぐ東の環七通りを越えると池袋町域となる。環七が少し高い位置を通っていて、まさに池袋との物理的な壁のように、ドーンと横たわっているように見える。もっとも池袋という名ではあっても、池袋駅のすぐ南までさらに狭小な家屋が密集する住宅地が続いているので、椎名町と風景に大差はない。これは西武線に乗って高架上から見ると、なかなか壮観だ。

 椎名町の北の地蔵堂通りまで歩いたが、次第に雨脚が強くなってきたため、予定を残してここで歩行を打ち切った。混同するわけではないが、長崎は今日も雨だったのだ。


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posted by 志歌寿ケイト(しかすけ) at 13:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 商店街歩行見聞録 | 更新情報をチェックする
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