東京都の商店街・商店群(主に東京23区内)を散歩し、様子を写真つきで簡単にまとめているブログです。 ※管理人=志歌寿ケイト(しかすけいと)
現在、東京の商店街・商店群の紹介記事を約2000件掲載している他、散策モデルコース図などもあります。
※各記事の内容は主観的なものであり、またその日付の時点のものですのでご了承ください。なくなった商店会も含んでいます。
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2005年01月01日
東京23区・商店街歩行見聞録(仮) その014 商店街の明るさ
その014 商店街の明るさ (2005年10月28日歩行)
ようやく晴天になったこの日は、葛飾区の四ツ木・立石・堀切・お花茶屋を歩く。葛飾区は東京ではかなり地味な扱いをされている。『男はつらいよ』と『こち亀』がなかったらどうなっていただろう。
立石(本田)・金町・新宿・奥戸・水元・亀青・南綾瀬の六町村が合併したのが葛飾区だが、このバラバラさが葛飾をぼんやりさせているとも言える。合併して何十年も経ってなお、無理にくっつけた感じがするのだ。もともと東京の区というのは「街の中心と周辺」というまとまりを示す性質のものではないので、僕は「区のイメージ」みたいなものをあまり持っていない。今回歩く地域に関しても、それぞれの街という捉え方はしているが、葛飾だからどうのこうの、という印象はない。
※最初に書いておくけれど、この日は広い地域に商店会が細かく分かれて存在している地域を歩いている。そして以前書いたとおり、僕はまだこの時点では商店会単位での事前把握はしていなかったため、いくつか歩き逃している。知っている人から見て、当然今回触れるべきであろう場所が文中に出て来なかったとしても、それは後からまた歩くことになるので、いまは見逃してほしい。
お昼前に京成押上線四ツ木駅に到着した。降車する人はあまりいなかった。駅の南が渋江の商店街、北側が四ツ木の商店街となっている。四ツ木はなぎらけんいちの歌でしか知らない。でも少し歩いただけで、古い看板を掲げた商店や銅板張りの建物の多さに驚く。四ツ木や渋江は明治時代以前からの村落だから、昭和になって人が住みだした街とは格が違う。同時に、どこか「地方都市っぽさ」も味わうことができる。そんな格は東京においてはまったく重要ではないかもしれないが、他所と均一な感じがしないというのは良いことだと思う。
渋江の商店街の精肉店で、昼限定で売っている弁当を買った。デミグラスソースのかかったミートボール四個とロールキャベツひとつ、小型コロッケ半分、そしてオムライスが丸い容器に入っている。かなり豪華だ。なかなか格好良いお兄さんが店先で手売りしていて、電子レンジもあり、缶のお茶もサービスしてくれる。これで四百七十二円だった。オムライスは中にちゃんとチキンライスが入っていた。焼肉と漬物とご飯を詰めただけというようなよくある弁当ではなく、ちゃんと手が込んでいる。この弁当は全ての商店街歩きの中でもっとも思い出に残っている。
児童公園のようなところで弁当を食べて、立石駅へ向かった。平日に児童公園で男が一人で弁当食ってるというのは怪しいものだが、通報されたことはない。
立石は狭い仲見世アーケードと広い駅通りアーケードがあり、周囲も通りごとに商店会が異なる。あとで調べたところ、その数は十を超える。こうなってくると商店会ごとにブログ記事を書くのが面倒になる。風景としては申し分ないのだが、それを切り分けてなんになるのか、という思いがするのだ。だから帰ってから記事にする時には「北口」「南口」の記事しか作らなかった。
※後にこれを改め、書きなおすことになる。資料としてわかりやすくするためというのはもちろんあったのだが、もっと大きな繁華街を歩く時には膨大すぎて書けなくなってしまうのだ。たとえば「池袋駅東口」を一記事でまとめるのは僕には無理だ。ただ、それをやるために、立石や堀切にはもう一度歩きに行く必要が出た。商店会があるのが判明したが未歩行の通りがあったり、写真を撮り忘れている場所があったりするからだ。本当にこの部分については面倒だった。気に入ったところだけ載せる方式にすればよかった、と何度も思った。
立石はさまざまな風景がありすぎて描写しづらいしあまりに長くなるので、いまはひとつひとつの通りのことを書くのはやめておく。
地図好きとしてひとつ気になるのは、仲見世アーケード内の店舗がネットの地図に描かれておらず、道路になっている点だ。屋台のような扱いなのか、それとも航空写真ではアーケード全体を道路と見做してしまってその下の建物を描かなかったのだろうか。まさか道路敷の不法占拠というわけではないだろうけれど、どういう扱いのものなのか、不思議に思う。あまり聞いてはいけないことなのかもしれないが。
立石を離れて北上し、京成本線の堀切菖蒲園駅を歩行する。青砥からこちら側の京成本線の開通は昭和に入ってからで、立石など押上線側よりも遅い。明治期の地図で見ると、人がほとんど住んでいない。駅ができてからの宅地だと言える。菖蒲園は江戸の頃からあり、昭和初期には複数の菖蒲園があったが、今は駅からかなり南に離れた堀切園だけになっている。この堀切園のあたりが古くからの集落なのだが、商店街はない。
堀切菖蒲園駅周辺もまた商店会の多い地域だ。しかし駅のすぐ近くを除いてはどこもさほど賑わっていない。雰囲気もどこか暗い。近年は駅の乗降客そのものも減っているようだ。二本ある大通り沿いもマンションは少なく、人口を確保できる公営の集合住宅も建設されてこなかった。昭和期に一気に住宅で埋まってしまったのだろうか。
それゆえに、歩くと古き良き住宅街の趣があるのだが、人通りの割に商業地が広すぎることもわかる。寂れたまま放置するよりは、もう少しどこかの通りに拠点性を持たせたほうが良さそうなのだが……。うそ臭くてもいいから、救いのある明るさが欲しくなってしまう。水路の上に建てられたような店舗もあり、権利関係も気になるところだ。
堀切七丁目の水路跡に沿って展開されている商店街を経て、最後はお花茶屋駅へ向かう。お花茶屋は東京の駅名・地名ではかなりユニークな部類だが、ほとんどの都民にとって訪れる機会がない場所だと思う。
区画整理された宅地内にあるお花茶屋駅北側の商店街は、今日ここまで歩いてきた商店街と比べると明るい雰囲気がある。カラーブロック舗装でまっすぐな広い街路、比較的新しい建物、ひとつの道に凝縮された商店。堀切にはなかった拠点性が、ここには見られる気がした。大きな商業地でなくても、昭和的なクラシックさがなくても、中心地が明るく歩きやすいというのはそれだけで良いことだ。
「明るさ」というのは、街づくりにおいて実現が難しいものなのだろうか。ボロボロになったテントや旗、廃屋、文字の読めなくなった看板、閉まりっぱなしの無味乾燥なシャッター、やっているのかどうかよくわからない店、余所者をいぶかしむ店主。そういう暗い要素がなかなか改善されないのはどうしてなのか。歴史に裏打ちされた文化やノスタルジーに溢れた建物はもちろんあっていいのだが、「壊れかけ」や「やる気がない」のは懐かしさでもなんでもない。でもそのままにされている。なぜか。これは文句ではなく、純粋な疑問だ。
街、特に商業地というのは明るいほうが喜ばしいことが多いはずなのだが、商店街の多くは、自ら暗闇に半分足を突っ込んだままそこに立ち尽くしているようだ。こう感じるのは僕だけだろうか。たくさんの商店街を歩けば、その理由が見えてくるものなのだろうか。あるいは、自分が店を持ちそれを潰してしまうまでわからないことなのかもしれない。
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ようやく晴天になったこの日は、葛飾区の四ツ木・立石・堀切・お花茶屋を歩く。葛飾区は東京ではかなり地味な扱いをされている。『男はつらいよ』と『こち亀』がなかったらどうなっていただろう。
立石(本田)・金町・新宿・奥戸・水元・亀青・南綾瀬の六町村が合併したのが葛飾区だが、このバラバラさが葛飾をぼんやりさせているとも言える。合併して何十年も経ってなお、無理にくっつけた感じがするのだ。もともと東京の区というのは「街の中心と周辺」というまとまりを示す性質のものではないので、僕は「区のイメージ」みたいなものをあまり持っていない。今回歩く地域に関しても、それぞれの街という捉え方はしているが、葛飾だからどうのこうの、という印象はない。
※最初に書いておくけれど、この日は広い地域に商店会が細かく分かれて存在している地域を歩いている。そして以前書いたとおり、僕はまだこの時点では商店会単位での事前把握はしていなかったため、いくつか歩き逃している。知っている人から見て、当然今回触れるべきであろう場所が文中に出て来なかったとしても、それは後からまた歩くことになるので、いまは見逃してほしい。
お昼前に京成押上線四ツ木駅に到着した。降車する人はあまりいなかった。駅の南が渋江の商店街、北側が四ツ木の商店街となっている。四ツ木はなぎらけんいちの歌でしか知らない。でも少し歩いただけで、古い看板を掲げた商店や銅板張りの建物の多さに驚く。四ツ木や渋江は明治時代以前からの村落だから、昭和になって人が住みだした街とは格が違う。同時に、どこか「地方都市っぽさ」も味わうことができる。そんな格は東京においてはまったく重要ではないかもしれないが、他所と均一な感じがしないというのは良いことだと思う。
渋江の商店街の精肉店で、昼限定で売っている弁当を買った。デミグラスソースのかかったミートボール四個とロールキャベツひとつ、小型コロッケ半分、そしてオムライスが丸い容器に入っている。かなり豪華だ。なかなか格好良いお兄さんが店先で手売りしていて、電子レンジもあり、缶のお茶もサービスしてくれる。これで四百七十二円だった。オムライスは中にちゃんとチキンライスが入っていた。焼肉と漬物とご飯を詰めただけというようなよくある弁当ではなく、ちゃんと手が込んでいる。この弁当は全ての商店街歩きの中でもっとも思い出に残っている。
児童公園のようなところで弁当を食べて、立石駅へ向かった。平日に児童公園で男が一人で弁当食ってるというのは怪しいものだが、通報されたことはない。
立石は狭い仲見世アーケードと広い駅通りアーケードがあり、周囲も通りごとに商店会が異なる。あとで調べたところ、その数は十を超える。こうなってくると商店会ごとにブログ記事を書くのが面倒になる。風景としては申し分ないのだが、それを切り分けてなんになるのか、という思いがするのだ。だから帰ってから記事にする時には「北口」「南口」の記事しか作らなかった。
※後にこれを改め、書きなおすことになる。資料としてわかりやすくするためというのはもちろんあったのだが、もっと大きな繁華街を歩く時には膨大すぎて書けなくなってしまうのだ。たとえば「池袋駅東口」を一記事でまとめるのは僕には無理だ。ただ、それをやるために、立石や堀切にはもう一度歩きに行く必要が出た。商店会があるのが判明したが未歩行の通りがあったり、写真を撮り忘れている場所があったりするからだ。本当にこの部分については面倒だった。気に入ったところだけ載せる方式にすればよかった、と何度も思った。
立石はさまざまな風景がありすぎて描写しづらいしあまりに長くなるので、いまはひとつひとつの通りのことを書くのはやめておく。
地図好きとしてひとつ気になるのは、仲見世アーケード内の店舗がネットの地図に描かれておらず、道路になっている点だ。屋台のような扱いなのか、それとも航空写真ではアーケード全体を道路と見做してしまってその下の建物を描かなかったのだろうか。まさか道路敷の不法占拠というわけではないだろうけれど、どういう扱いのものなのか、不思議に思う。あまり聞いてはいけないことなのかもしれないが。
立石を離れて北上し、京成本線の堀切菖蒲園駅を歩行する。青砥からこちら側の京成本線の開通は昭和に入ってからで、立石など押上線側よりも遅い。明治期の地図で見ると、人がほとんど住んでいない。駅ができてからの宅地だと言える。菖蒲園は江戸の頃からあり、昭和初期には複数の菖蒲園があったが、今は駅からかなり南に離れた堀切園だけになっている。この堀切園のあたりが古くからの集落なのだが、商店街はない。
堀切菖蒲園駅周辺もまた商店会の多い地域だ。しかし駅のすぐ近くを除いてはどこもさほど賑わっていない。雰囲気もどこか暗い。近年は駅の乗降客そのものも減っているようだ。二本ある大通り沿いもマンションは少なく、人口を確保できる公営の集合住宅も建設されてこなかった。昭和期に一気に住宅で埋まってしまったのだろうか。
それゆえに、歩くと古き良き住宅街の趣があるのだが、人通りの割に商業地が広すぎることもわかる。寂れたまま放置するよりは、もう少しどこかの通りに拠点性を持たせたほうが良さそうなのだが……。うそ臭くてもいいから、救いのある明るさが欲しくなってしまう。水路の上に建てられたような店舗もあり、権利関係も気になるところだ。
堀切七丁目の水路跡に沿って展開されている商店街を経て、最後はお花茶屋駅へ向かう。お花茶屋は東京の駅名・地名ではかなりユニークな部類だが、ほとんどの都民にとって訪れる機会がない場所だと思う。
区画整理された宅地内にあるお花茶屋駅北側の商店街は、今日ここまで歩いてきた商店街と比べると明るい雰囲気がある。カラーブロック舗装でまっすぐな広い街路、比較的新しい建物、ひとつの道に凝縮された商店。堀切にはなかった拠点性が、ここには見られる気がした。大きな商業地でなくても、昭和的なクラシックさがなくても、中心地が明るく歩きやすいというのはそれだけで良いことだ。
「明るさ」というのは、街づくりにおいて実現が難しいものなのだろうか。ボロボロになったテントや旗、廃屋、文字の読めなくなった看板、閉まりっぱなしの無味乾燥なシャッター、やっているのかどうかよくわからない店、余所者をいぶかしむ店主。そういう暗い要素がなかなか改善されないのはどうしてなのか。歴史に裏打ちされた文化やノスタルジーに溢れた建物はもちろんあっていいのだが、「壊れかけ」や「やる気がない」のは懐かしさでもなんでもない。でもそのままにされている。なぜか。これは文句ではなく、純粋な疑問だ。
街、特に商業地というのは明るいほうが喜ばしいことが多いはずなのだが、商店街の多くは、自ら暗闇に半分足を突っ込んだままそこに立ち尽くしているようだ。こう感じるのは僕だけだろうか。たくさんの商店街を歩けば、その理由が見えてくるものなのだろうか。あるいは、自分が店を持ちそれを潰してしまうまでわからないことなのかもしれない。
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