東京都の商店街・商店群(主に東京23区内)を散歩し、様子を写真つきで簡単にまとめているブログです。 ※管理人=志歌寿ケイト(しかすけいと)
現在、東京の商店街・商店群の紹介記事を約2000件掲載している他、散策モデルコース図などもあります。
※各記事の内容は主観的なものであり、またその日付の時点のものですのでご了承ください。なくなった商店会も含んでいます。
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2005年01月01日
東京23区・商店街歩行見聞録(仮) その018 旧川越街道
その018 旧川越街道 (2005年11月02日歩行)
今日は池袋の外れからのスタートとした。
池袋はどの方向もビル街と住宅密集地が隣接している。今僕が訪ねている旧日出町も半分は再開発で消えてしまったそうだが、今も都電荒川線寄りに商店街を含めた古い宅地が残っている。その商店街の駄菓子屋には硬貨を弾くゲーム台が複数あり、その上には座布団が干してある。オープンな八百屋に靴屋。天ぷら、揚げ物を売る店もある。リアルタイムでは知りもしないノスタルジーにくらくらしそうだ。なんだかんだ言っても、僕はこの手の古いものは好きである。懐かしさではなく、自分が産まれる前に流行した文化への興味だ。僕くらいの年代にとっては、街が博物館でもある。
忙しいことに、次は東武東上線で東武練馬に向かう。西武線の練馬駅とはかなり離れていて、駅そのものは板橋区にあるという、余所者には難解な地域だ。駅南側の旧川越街道沿いにかつて「下練馬宿」があり、今はいつくかの商店会が連なっている。
東京の場合、街道沿いといっても、木の壁や塀で構成された住宅や大きな商家というものは少ない。路面側だけを洋風にした看板建築の店、または市場のような間口の大きい共同店舗や青果店、戦後すぐに建てられたような煤けたビル、そしてそれらが生まれ変わった中小の下駄履きマンションといったものが主体だ。もちろん一般家屋は古くなれば建て替えられる。その点では街道もそれ以外でもあまり風景の差はなく、よほど敏感な人でない限り、言われなければ街道だと気づかない。街に溶けこんでしまっているのだ。
ただ、大きな通りに飲み込まれてしまわない限り、道筋そのものが失われることは少ない。土地取得が難しいこともあり、全てをひっくり返すような区画整理はあまり行われていないのだ。
飲食店が並ぶ東武練馬駅前から東へ歩いて行くと、かつては宿場だった商店街が次第に姿を現す。地名もただ単に「宿」だったそうだ。ここは成り立ちが古いだけではなく、賑わいや個性も兼ね備えている。ただ、気になることに、真ん中に環八通りの工事が行われている。広い道路で分断されるのは商店街にとっては痛い。大丈夫だろうかと心配したが、この部分は地下を通すことになっているようだ。「俺たちの街もそうしてくれていたら」と泣いている商店街もあるかもしれない。
旧街道をそのまま進んで上板橋駅南口に達し、また電車に乗って大山駅に移動した。大山駅の西側には、五百メートル近くに渡って真新しいアーケードを備えた商店街がある。
東京の商店街のアーケードは、老朽化したら取っ払ってしまうかだましだまし使うところが多いのだが、ここはわざわざ立派なものを再建したのだ。なんとも言えないぼんやりとした緑の色調で統一されていて、都会的な印象を与えている。何より、商店街の中身がそれに負けずに充実しているのが良い。アーケードがあるから客が集まるのではなく、多くの客がいるからアーケードが便利なのだ。「設備だけが新しくなった寂しい商店街」は設備費の無駄だし、補助金が出ているとしたらなおさらだ。大山はそうしたアンバランスさのない、数少ない「納得できる」アーケード街だと思う。
反対側の、屋根のないほうの商店街と周辺路地をうろうろしたあと、どこかで揚げ物でも買って持ち帰ろうと、僕はふたたびアーケードに消えた。
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※目次はこちらです。
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今日は池袋の外れからのスタートとした。
池袋はどの方向もビル街と住宅密集地が隣接している。今僕が訪ねている旧日出町も半分は再開発で消えてしまったそうだが、今も都電荒川線寄りに商店街を含めた古い宅地が残っている。その商店街の駄菓子屋には硬貨を弾くゲーム台が複数あり、その上には座布団が干してある。オープンな八百屋に靴屋。天ぷら、揚げ物を売る店もある。リアルタイムでは知りもしないノスタルジーにくらくらしそうだ。なんだかんだ言っても、僕はこの手の古いものは好きである。懐かしさではなく、自分が産まれる前に流行した文化への興味だ。僕くらいの年代にとっては、街が博物館でもある。
忙しいことに、次は東武東上線で東武練馬に向かう。西武線の練馬駅とはかなり離れていて、駅そのものは板橋区にあるという、余所者には難解な地域だ。駅南側の旧川越街道沿いにかつて「下練馬宿」があり、今はいつくかの商店会が連なっている。
東京の場合、街道沿いといっても、木の壁や塀で構成された住宅や大きな商家というものは少ない。路面側だけを洋風にした看板建築の店、または市場のような間口の大きい共同店舗や青果店、戦後すぐに建てられたような煤けたビル、そしてそれらが生まれ変わった中小の下駄履きマンションといったものが主体だ。もちろん一般家屋は古くなれば建て替えられる。その点では街道もそれ以外でもあまり風景の差はなく、よほど敏感な人でない限り、言われなければ街道だと気づかない。街に溶けこんでしまっているのだ。
ただ、大きな通りに飲み込まれてしまわない限り、道筋そのものが失われることは少ない。土地取得が難しいこともあり、全てをひっくり返すような区画整理はあまり行われていないのだ。
飲食店が並ぶ東武練馬駅前から東へ歩いて行くと、かつては宿場だった商店街が次第に姿を現す。地名もただ単に「宿」だったそうだ。ここは成り立ちが古いだけではなく、賑わいや個性も兼ね備えている。ただ、気になることに、真ん中に環八通りの工事が行われている。広い道路で分断されるのは商店街にとっては痛い。大丈夫だろうかと心配したが、この部分は地下を通すことになっているようだ。「俺たちの街もそうしてくれていたら」と泣いている商店街もあるかもしれない。
旧街道をそのまま進んで上板橋駅南口に達し、また電車に乗って大山駅に移動した。大山駅の西側には、五百メートル近くに渡って真新しいアーケードを備えた商店街がある。
東京の商店街のアーケードは、老朽化したら取っ払ってしまうかだましだまし使うところが多いのだが、ここはわざわざ立派なものを再建したのだ。なんとも言えないぼんやりとした緑の色調で統一されていて、都会的な印象を与えている。何より、商店街の中身がそれに負けずに充実しているのが良い。アーケードがあるから客が集まるのではなく、多くの客がいるからアーケードが便利なのだ。「設備だけが新しくなった寂しい商店街」は設備費の無駄だし、補助金が出ているとしたらなおさらだ。大山はそうしたアンバランスさのない、数少ない「納得できる」アーケード街だと思う。
反対側の、屋根のないほうの商店街と周辺路地をうろうろしたあと、どこかで揚げ物でも買って持ち帰ろうと、僕はふたたびアーケードに消えた。
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