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2005年01月01日

東京23区・商店街歩行見聞録(仮) その019 現代の生活を記憶する

その019 現代の生活を記憶する (2005年11月04日歩行)


 この日は快晴。正午、南北線の志茂駅の階段を上る。

 志茂は今でこそ赤羽とつながる住宅密集地だが、もともと「下村」という名の古い村である。大正時代までは荒川沿いに取り残されたような村落だったようだ。その後、昭和に入って「志茂」に改称し、北本通りと王子電車が開通、今では地下鉄南北線が王電に置き換わっている。しかしやはり、東京で「志茂ってどこ?」と訊いても「さあ?」という反応がほとんどだろうと思う。存在感は大正時代までと変わっていないのではないか。

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 志茂銀座という古い通りのほか、JR赤羽駅に向かう街路がそのまま商店街になっている。赤羽駅から離れるほど寂しくなるという、わかりやすい状況だ。地下鉄の志茂駅に関しては、ほとんど影響していないと言っていいくらいだ。地下鉄の駅はなかなか拠点になりづらいものだが、ただの通過点にしかならないというのはなんだかもったいない。

 隣の赤羽にはこの日は行かない。基本的に、いつでも行けるような大きな繁華街は除外している。それに、いちいちそういう場所の商店会までブログに書くかどうかも迷っていたので、最初のうちは手を出さないと決めていた。

 このあとはJR埼京線の十条駅前を歩いた。十条銀座のアーケードを中心に、さらに各方向に別の商店街も伸びていく。駅そのものには商業ビルが設置されていないし、大型スーパーの類もない。ここはまさに商店街だけが商業地といえる。しかも、まっすぐな道路がそのまま商店街に相当しているから、人の通り道とも重なっている。こうなってくれば、商店街としては理想的な環境で、賑わうのも当然である。

 東京ほどの人口があれば、良い店ならどこにあったってそれなりに客は来るだろう。どこに店を作るかだって自由だ。ただ、街の面的な楽しさや利便を考えていくならば、「商業地はここ、人の通る道はここ」というのが明確なほうがいい。人の流れが変わるのには理由があり、それを自然で成り行きに任せるようなものとして扱うのは、僕には無理がある。人の流れを変えるのであれば、それに合わせて土地利用も考えなければならない。それができない街は、どんどん面が失われ、ただの点になっていく。それは街ではないかもしれない。

 最後は旧中山道の板橋仲宿の商店街を歩いた。旧道に沿っていくつかの商店会が並んでいるが、時間的に行けそうだったので、そのうちのひとつだけを半端ながら覗いてみた。

 僕は東京を歩き見る時、江戸まで遡るつもりはほとんどない。江戸の頃ああだったこうだった、と言っても、かなり深く見なければその名残りすら感じられない。それよりは、その土地の現代の生活文化を感じるほうを優先したい。僕の中では、江戸が重く平成が軽いわけではない。今の生活のしかたも、何十年か経てば語り継ぐべきものになっていき、そしてやがて薄れて見えないものになる。僕にできるのは今をしっかり記憶することだ。

 仲宿の商店街は三田線の板橋区役所駅にも近く、広い中山道新道と比べると商業地として今も充分機能している。青果店もカフェも飲み屋もある。また、スーパーの裏側の少し土地が低くなったあたりの狭い路地には、銭湯前商業地とでも言うべき小さな商店の集まりもあった。江戸以来の街道がそこを走っていることよりも、それぞれの場所にあるこうした地域生活の営みに出会えることが、僕にとっては何より楽しい。

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posted by 志歌寿ケイト(しかすけ) at 13:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 商店街歩行見聞録 | 更新情報をチェックする
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